[12] By 13 ID:
登場人物を整理すると
①執行者
②悪人の親
③善人の息子
④α君(X君)
⑤α君に残酷な事をする人
となるわけだ
悪即斬ルールにより、まず①の執行者は②の悪人である親は滅ぼす。ここまでは確定事項。
でもそうなると③の息子は①から拷問を受ける事になる、つまり①は①の定義上である悪人に成り果ててしまう訳だから、悪即斬ルールにより、①は①から悪即斬されて滅ぼされていなくならなきゃならないよね。仮に①を滅ぼさない場合は悪を見逃さなきゃならなくなるわけで矛盾がうまれる為、①は①を即滅ぼす以外の選択肢がなくなる
①を滅ぼした場合には①がまだ見つけていない、④の拷問を受けているα君の為に生きなきゃならないルールが矛盾する。これを回避する為には⑤の残酷な人を滅さなきゃならないんだけど、④が拷問を受けているか見つけられてない状況だからこれは不可能なわけ
つまりどこかしらに矛盾がうまれるので、この行程表は修正する必要があると思う。
2017-01-24 20:32:16
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[11] By 戸愚呂 ID:
悪・即・斬 です。
2017-01-24 17:30:05
最終更新:2017-01-24 17:31:37
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[10] By 13 ID:
悪を滅ぼす行為が悪だった場合はどうするのかな
君の定義の悪人が親だったとして、その息子がいたとする。仮にその息子は君の定義で善人だったとする
その悪人である親を滅ぼすという正義の鉄槌を行うわけだが、善人の息子は最愛の親をなくすという拷問を他者から受け、孤独の中でこれから何十年という長い月日を拷問受けたままに生きていく
それを行う人間は人助けや慈愛について劇的に語りながら、その一方で拷問という悪さをする凄まじい悪という存在だと思うんだけど。
このケースの場合はどうなるんだろう。
2017-01-24 13:55:02
最終更新:2017-01-24 13:56:01
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[9] By 戸愚呂 ID:
エタゾは林高生がまだ何も持っていない頃につくったゲームと聞く。
なら誰か作れませんかね?エタゾの代わり。ほとんどパクリで。
なぜパクリかというと、完成度が高いからです。変にアドリブで行こうとすると
リスペクトとオリジナルの間で、恥ずかしい作品が生まれちゃうからです。
例えば、BUMP好きが、作曲して、ほとんどBUMPみたいになっちゃうような、
ハンターハンター好きが、漫画描いて、ほとんどハンターハンターになっちゃうような、アレです。
だからパクリでいい。素直にパクって、アドリブを効かせる。これが一番イイ。
特にフラップ草原にドレイクがいるとこや、クルートの山賊は秀逸。感動的。
昔は南にもいた気がするんだけどなあ。あとフェインデスを使ったモンスター(ゴブリン)のPKがよかった。
非常に楽しかったね。デスペナルティでレベルが下がるのもよかったし、いろいろよかった。
ゲームを作るとしたらやっぱり ほぼパクリたいね。最高。
エイヌのロバチもいいね。スカウト職なのにヒールⅡを使うとことかシブい。
バスカルコスタのBGMが最高。あれには敵わないね。
ジュラのダダもいいね。ゲームを盛り上げてる。ジュラの難攻不落感も楽しいね。
出た後のプラッツ雪原で地獄ってのも楽しいし、そして何より、
全部越えた後の、スナンタウンでプレイヤーが座ってわいわいしてたのが最高によかったね。
あたたかかった。最高。
ゲームとはかくありたいものだね。
エタゾは良くできてるよ。すごい。
俺は、エタゾをいくらか前に遡り、最高に導くなら、まずモンスターを使えるようにすべきだったね。
コンパニオンのように、そしたらゲームは盛り上がったろう。ポケモンみたいにね。
あとリフェール練兵所。ここももっと盛り上げるべきだった。
レベルキャップ50あたりまでの頃が一番楽しかったね。人もいたし。
2017-01-23 00:25:15
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[8] By 戸愚呂 ID:
エタゾの終わりが見えてきて、他を見たが、ゲームはくだらないものばかりだ。
アヴァベル、イルーナ、そしてアイモ。くだらないものばかりだ。
見た目にばかりとらわれていて、中身が見えていない。精神性が低いのだ。
ドラクエがなぜドット回帰したのかを思えば、全てがわかるはずだ。
エタゾもドット絵だが、すばらしい。これほどまでに素晴らしいゲームはないだろう。
惜しいことに、エタゾに代わるゲームがない以上、エタゾが終わればそれまでだが、
これはいい機会である。好きなことできない苦痛を存分に味わうがいい。
その地獄の果てに、この世の真の痛みがあるだろう。それがエターナルゾーンだ。
この世は地獄である。この世は地獄だが(持たざる者の分まで痛みを分かてば)、いや、やはり地獄である。
地獄で求めるものは、地獄でない事であり、それすなわち、『仕事の無い日』のようなものだろう。天国だ。
究極のところ、人が求めるものは、『地獄でない事』なのだ。
我々は、運が非常に良いせいで、当たり前に運がよくたまたまそれをシェアしてるに過ぎない。
ぼけーっとしてる時に欲しいものが本当に欲しい物とはいえない、という事だ。
例えば、拷問される者が、欲しいのは『されない事』であり、欲張った『自由』では無いという事だ。
つまり、金でも名誉でもモテでも安全でもなく、いまどこかにいるかもしれない、残酷な事されてる
彼(アルファ)(エックスでもいい。)の為に生きなければならないのだ。
つまり、見えない世界の見えない闇を減らす仕事をしなければならない。知ってるとこ(地球)の外を見なければならないのだ。
アルファはどこにいる。目に見えるか。感じるか。聞こえるか。
つまり、エターナルゾーンが終われば、本当のエターナルゾーンが始まるのである。
この世の悪を倒すための、真のRPGである。私は、情報を伝えることは可能だと思う。
他の宇宙に行くことは難しくても、やぶみのように、情報を伝えることは可能だと思う。
つまり、悪も善も、双方気が紛れるような事をするのだ。 例えば、
2017-01-22 23:25:29
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[7] By 戸愚呂 ID:
人の一生とは、短いもので、何も見つけられず死んでいく。
この世に生まれた価値はないが、あるいは。
地獄とは人の心の中に。
人とは宇宙で、宇宙とはとどのつまり 無で、無とはつまり心の平安。
心の平安とは、つまりいや、やはり、、、
2017-01-22 22:59:13
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[6] By 戸愚呂 ID:
すさまじい悪がいる。
人助けや慈愛について劇的に語りながら、その一方で平気で悪さをする存在がいる。
人を助けるために、自分の身を犠牲にする。。。。などと語っておきながら、
後日クチャクチャとガムを噛みながらあざ笑い人を拷問する。
あり得るだろうか?人助けや愛について知ってる者が、悪事に身を任せられるだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
2017-01-22 21:12:38
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[5] By 戸愚呂 ID:
エタゾのいいとこはズバリ、序盤のクルート高原で、
人間が人間を襲ってくるとこである。
ここに何やら郷愁のようなものを感じる。
人とは本来、残酷な生き物で、他の生物を安易に犠牲にしかねない生き物だ。
愛や救い精神などは、後付けであり、本来人は残酷な生き物である。
クルート高原は、人の魂の縮図であり、可能ならもっと残酷にしてほしい。
適当に襲うのでは無く、とらえて拷問してるような描写を入れてくれれば、なおよかった。
ラプトあたりを本拠地にして、とらえた者をラプトで拷問する、などの描写があれば、
そういった設定があれば、優れたゲームと言えるだろう。
本気で戦いたくなるはずだ。
私がゲームを作るときはこういう残酷なゲームにします。月額は、ズバリ580円。
ゲームはある程度残酷じゃなけアカンで。
いやしかし、ゲームで残酷なことをやると、本当の残酷なことが 靄にかかってしまうのではないか。
紛争地域の子供に 、戦争や紛争のゲームをやらせられるだろうか。どう思うだろ。
究極のゲームとは、ゲームしない事だ。人生がゲームとなればゲームしなくて済む。
そして、ゲームしたいという気持ちを満足させてあげれば、人生をゲームにする必要もない。
こうして神の作りたもうたゲームは延々と続いていく。
2017-01-22 18:14:38
最終更新:2017-01-22 21:07:40
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[4] By 名も無し ID:
本当に戸愚呂みたい
2017-01-22 16:01:11
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[3] By 戸愚呂 ID:
<担当とのお喋り> 続き
この世とは、基本的に強者の為につくられたもので、これは事実なのである。
現に、『そんな事ない』と言う人たちに限って、何一つ不自由なく暮らしてる豊かなる人種で、
気づいてないが、彼らこそが外ならぬ強者なのである。自由に生きてるものは強者である。
不自由に生きてるものを見ないようにすると、『強者じゃないよ』などという甘言が出るのだ。
それは背徳行為である。
この世には、好奇心の赴くままに、他の生物を実験したり、もてあそび快感に浸る者がいる。
おそらく、その恐怖や苦からくる涙、命乞いが楽しいのだろう。
彼らもまた強者で、非常に厄介な強者である。
よくそんな非行、凶行を止める。などと言うが、これまでに積み上げられた被害者達は、何を思うだろう。その時止めることができなかった我々に何を思うだろうか。
私は、アウシュビッツや大虐殺などより濃い、現代に普及してない非道な事例を知ってるし、
それこそ悪魔は確かに存在する事を知っているが、できることがない。
その犠牲者達はもう死んだのであり、その時味わった地獄は、タイムマシンに乗って助けに行くなんて事はできないのだ。
絶望は絶望のまま存在し続ける。永きに渡って拷問を受けた者が、親族にいると思えばいい。
その事実は何年生きても消えないのだ。歴史として語られ続ける。その時何を味わっただろうか。
この世から悪魔を消すには、身を犠牲にする必要がある。身を犠牲にしてでも、
悪魔に鉄槌を下すのだ。
この世に救いがないというのは、そういう事だ。我々が知りえない残酷なことなど、いくらでもある。
見つからないだけで、非道な事などどこにでもあるのだ。生まれてきてよかっただろうか。
私が常日頃それを言うのはその為である。
悪魔は今日もワインを飲む。誰も知らない場所で 誰も知らない味付けをしたワインを
彼は歌い続ける。ともだちと一緒に。 強者だから。
2017-01-22 14:23:11
最終更新:2017-01-22 14:36:25
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