[31] By 戸愚呂 ID:
~~生物とは生まれて来たのが罪である~~
生物とは生まれて来たのが罪であって、PPAPなのである。
この世とは、拷問するものとされる者に別れ、織りなす悲劇のパレードである。また、PPAPである。
なぜ、する者とされる者かと言うと、どんな物事でも、他人を犠牲にしたものだからである。
例えば、ひとつの果実を手に入れたとして、二人では食えない。半分ずつ食うには少なすぎる。
すると、どちらかが目の前で食われるという悲劇が生まれる。つまり拷問だ。
女もそう。名誉や栄光もそうだろう。勲章もそうだし、地位も謝礼も賞品も恩返しも全部そうだ。
誰かが持つと、誰かが飢えに耐えねばならないのだ。
ただひとつわかってることは、飢えた者の末路はわからないが、拷問した者の魂は、
いま我々が理解できるものとはいくつか違う世界に飛ぶという事だ。幸せか不幸せかはわからない。
違う世界に行くのだ。間違っても、拷問をしてはいけない。拷問してPPAPとか、言っちゃいけないのだ。
魂の祈りはないがしろにされ、死体の上にはPPAPがある。リンゴとパイナップルだ。
たくさんの暴力を受けた魂は来世も地獄に行き、PPAPした魂は神に召される。ノリが、いいからだ。
結局のところ、自分にウソをついて、神だけならまだしも、いのち、並びに、夢、愛、祈りを
いたずらに傷つけたメタボリックな社長さんは、自分だけではなく
拷問した者の真新しい新天地さえも傷つけたのだ。己は何も裁かれないという名のもとに、
無敵という暴力を持って、いや、
よそう
生命は学ばなければならない。進化より大切なものがあるはずだ。意識の外に、新しい情報が詰まってるというならば、
進化という目的の外に、大切なものが、転がっているはずだ。
2017/2/12(日) 地獄の覇者、戸愚呂
2017-02-12 20:56:37
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